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近江八幡 ~ 近江八幡の水郷 ~
2015-03-01 Sun 02:07
近江八幡の名所の一つにあげられるのが、市街地の郊外に広がる水郷の風景です。

琵琶湖から引かれた八幡堀の水路は八幡山の南麓を東へと抜けると、北之庄町の辺りでヨシ原の続く水景へとその姿を変え、琵琶湖の湖畔に形成された内湖である西の湖(にしのこ)に通じます。入り組んだ水路や沼沢が続く、この八幡堀から西の湖一帯の水辺を川舟で巡ってゆくのが近江八幡名物の「水郷めぐり」です。

水郷めぐりの船着場へ
今回、乗船したのは、水郷めぐりの草分けである「近江和船観光協同組合」さんの手漕ぎ舟です。かつて『街道をゆく』(近江散歩)の取材で訪れた作家の司馬遼太郎氏もこちらの和船に乗って初冬の水郷風景を楽しみました。

手漕ぎ船
近江和船観光協同組合さんの豊年橋の船乗場(北之庄町)。1日に2回、午前10時と午後3時にここを出発する乗合船が「かいつぶり丸」です。4月から11月の間は無休で運行されています。このほか予約による貸切船は通年で営業し、船上での飲食も注文に応じて提供してくれるそうです。春夏秋冬、それぞれに趣のある水辺の景観を楽しみながら、水上でゆったりと一献傾けるのも舟遊びの醍醐味ですね。

船頭さん

水郷へ
出発の時刻となり、和船は水路の中央へと漕ぎ出されていきました。

水郷風景
しばらく細い水路を行くと川幅は急に広くなり、水面の広がりの中を手漕ぎ船は進むようになりました。いよいよ湖沼の続く水郷地帯へと入ったようです。

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水辺には思いのほか緑が多く、水中から伸びる樹木の幹や枝葉の茂み、そして群生するヨシの原がゆっくりと目の前を過ぎていきます。

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船中の乗客
この日の乗合船には親子連れや数人のご婦人方が同乗し、暖かな陽光をうけながら穏やかな舟行きを楽しんでいました。

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巧みに櫓を操るのは老船頭の喜一さん。小兵(こひょう)ながら確りとした体躯で「よいしょー、よいしょー」という掛け声とともに力強く櫓を漕いで舟を進めていきます。

「ほら、カルガモもおりやんな」

「粽(ちまき)言うたら、ふつう、笹の葉を巻いて作るやろ。この辺だとここに生えとるヨシの葉を使うて作るんや」

喜一さんは櫓を漕ぎながら、水辺に棲む生き物や植物の生態、水郷の暮らしぶりなどを休む間もなく解説してくれます。この場所は嫁入り水道と呼ばれる水路。土手には桜の樹がたくさん植えられていて、春の盛りには満開の花の下を舟で行くことができます。

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舟行きの途中、所々で鰻やニコロブナを捕るしかけを目にします。水路の周囲には田んぼもあって、ここが北之庄に暮らす人々の生活空間でもあることがわかります。

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飛脚が走り抜けたり、藤田まこと扮する『剣客商売』の主人公、秋山小兵衛が悠揚迫らぬ様子で歩いていたり、そんな場面が思い浮かぶ木の橋の下をくぐり抜け、和船は時速4㎞ほどの舟足でゆるゆると進んでいっています。

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湖上を吹く風が強まり、静かだった水面がにわかに波だってきました。

「さ、こっからは少し無口になるで」

今まで饒舌だった喜一さんが不意に口を閉ざすと、櫓漕ぎに合わせてゆったりと左右に揺れていた舟の動きが止まり、突然、ガッガッガッガッと小刻みに鈍い(強い)衝撃が伝わってきました。櫓を縦に使って水底を突くかなにかして、その反動で徐々に舟を進めているような感触です。おそらく向い風の中を進むための操法なのでしょう。おそらく、というのは風にあおられてから舟の揺れが大きくなっていて、後方の喜一さんを振り返る余裕も無かったからです。表むきは平然と舟の行く手に視線をむけつつ、内心ではかなりドキドキしながら、身を固くして強風の中を舟が進んでいくことを祈っていました。

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しばらくすると向かい風はおさまり、再び静かな水面が戻ってきました。こちらの緊張も解けてホッと一息です。

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「あれが安土山や」
和船は進み、広々とした湖畔風景が続く中、喜一さんの指し示す方向になだらかな山容の安土山が見えてきました。

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岸辺には刈り残したヨシが枯れた色あいのまま若い青葉のそれに混じって残っています。

『街道をゆく』(近江散歩)の中では、この”よし(ヨシ)”と”あし(アシ)”の違いが語られています。
広辞苑などでは、「よし」は「あし(葦)に同じ」とあり、水辺に生えるイネ科の多年草のことで葦、蘆、葭などの字をあて「あし」とも「よし」とも訓む。しかし、この土地では「よし」は節と節との間が空になっていて軽く、「あし」は中身が詰まっているものとして区別している・・・。
”あしの茎に綿毛がつまっていて、よしの茎は空っぽだということから、このあたりでは、あの人は腹に一物のある人だという場合、あの人はあしだから、と言うんです。”

司馬さんは和船の船頭さんとのやり取りから、近江八幡の水郷地帯でいう、よしとあしとの違いをこのように記しています。司馬さんが訪れてからおよそ30年、当時と種々の変化はあるにしろ、今なお水郷のよしは健在で、四季折々訪れる旅人の目を楽しませてくれています。

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ヨシ原をくぐり抜け、さらに川舟は進む

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水郷はたくさんの水棲生物が暮らす場所でもあります。水中からのそのそと這い上がって、のんびりと甲羅干しを始めた亀の姿。とてもかわいらしい。

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よしの大竜神
ヨシの群生する中洲には、水郷の守り神がひっそりと祀られていました。

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五月の午後、明るい陽光の下でも、遠く続くヨシ原の風景は何となくもの哀しさを感じさせます。

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水上を行く手漕ぎ船の孤影にも郷愁をそそられます。

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約80分の水郷めぐりを終えて和船は豊年橋へと帰りつきました。現代の日常生活ではなかなか身近に接することのできない、水辺の自然風景やそこに住む人々の暮らしをたっぷりと堪能できる時間でした。

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近江八幡 ~ 日牟禮八幡宮から八幡山へ ~
2014-12-28 Sun 14:30
八幡堀のほとりをさらに歩いて行くと、ふたたび掘割に架かる白雲橋にたどり着きます。

八幡堀水景

日牟禮八幡宮の大鳥居
この橋は、”近江八幡”の地名の由来である日牟禮(ひむれ)八幡宮の参道の橋でもあります。

日牟禮八幡宮境内
白雲橋を渡り、本殿への入口となる楼門が見えてきました。門前にはたくさんの乗用車や観光バスが停まっていて、ここが近江八幡観光の一大ターミナルとなっている様子がわかります。

八幡宮楼門
八幡宮楼門

拝殿
拝殿と境内風景

本殿
本殿

負けずの鍔
境内には能舞台も設けられていて、その橋掛り(渡廊下)には、織田信長の時代の永楽銭を模した「負けずの鍔(つば)」という、左義長まつりのダシ(飾り物)が飾られています。なんとそのほとんどが、スルメや昆布、エイヒレなどの食材でできているそうです。
起源は宮中行事に求められるという左義長。現在も様々な呼び名で全国的に行われている正月の火祭りですが、ここ近江八幡市では毎年3月中旬に行われ、国の選択無形民俗文化財に指定される行事となっています。

八幡山ロープウェイ
日牟禮八幡宮のある八幡山の南麓からは山頂付近に向けてロープウェイが運行しています。こちらはロープウェイの山頂駅から、眼下の近江八幡市街を見下ろしたところです。市街地の南には瓶割山など、標高の低いなだらかな丘陵が点在しています。さらに遠くその背後に見えているのが滋賀県から三重県へと連なる鈴鹿山脈です。

八幡山の遊歩道
山頂駅からは旧八幡山城の郭(くるわ)の跡を巡る遊歩道を歩いていきます。

湖東平野の眺め
しばらく山道を上り八幡山城の西の丸址にたどり着きました。ここからは、山の西側に眺望が開けて、琵琶湖とその南に広がる平野の姿を一望することができます。

南の内陸側は古代に蒲生野(がもうの)と呼ばれた湖東平野の風景。満々と水を湛えた水田の海の上に、寺社の境内を包む鎮守の杜や集落を囲んだ林が浮き島のように散在する様子が目に入ってきます。

岡山方面
少し北側に視線を転じるとそこは湖水の景色。中央の小山は岡山と名づけられた丘陵。その右手には琵琶湖の湖面が広がり、間近にまで湖東平野の水田が続いています。
岡山の左斜め上、青い山腹を見せて続く山並みの中で少し小高く突起して見えているのが比叡山です。

長命寺山方面
琵琶湖の対岸で、屏風が折り重なるように続いて見えているのが比良山地。近江八景のひとつ、比良の暮雪(ひらのぼせつ)で知られた景勝の場所。
手前の琵琶湖に突き出た小さな岬から東へ隆起しているのが長命寺山。その麓の湖岸には長命寺港の集落が見えています。

西の丸址からは、空と湖と田園の青さが印象的な素晴らしい眺めを楽しむことができます。

北の丸址へ
続いて城址を巡る遊歩道を北の丸址へとたどっていきます。

安土山・観音寺山方面
北の丸址に出ました。ここからは八幡山の北から東側にかけての眺望が広がります。
中央に見えるふたつのなだらかな丘陵は観音寺山。その手前にあり、山容が観音寺山と重なって見える緑濃い小さな丘が安土山です。安土山は戦国の覇者織田信長の居城(安土城)の跡。一方の観音寺山は信長によって滅ぼされた近江源氏の名門、佐々木一族が本拠とした城跡です。
かつて覇を競ったつわものどもの夢の跡は今はのどかな山野の姿へと帰り、”国破れて・・・”の一節を思わせる晩春の景観を見せていました。

北の庄町方面
北の丸址から見た市街地風景。街なかでひときわ目立つ赤い屋根はウィリアム・メレル・ヴォーリズが妻の一柳満喜子とともに創立した近江兄弟社学園のキャンパスです。

村雲御所へ
この八幡山の山頂には豊臣秀次の生母、日秀尼(俗名:とも)の開いた瑞龍寺があります。
秀次切腹の後、髪を下ろして仏門に入った日秀尼が、我が子の菩提を弔うために、京都村雲の地に創建した日蓮宗の寺院です。瑞龍寺は昭和36年、京都から秀次ゆかりの地であるここ近江八幡の八幡山城址へと移転しています。

秀次公を偲ぶ
日秀尼は戦国の世で最も運命に翻弄された女性かもしれません。

彼女は尾張国の農村に生まれ、同じ百姓身分の夫とともに郷里で平穏な暮らしを送っていましたが、実の弟が天下統一を成し遂げた”豊臣秀吉”という名の権力者となってしまったために彼女の人生も大きく変転することとなりました。天下人の姉という身分に祭り上げられ、夫は十万石の諸侯に、長男の秀次は叔父秀吉の跡継ぎとして関白の地位を譲られるなど、彼女の一家は庶民の身から当時最高の権門の一族へと昇りつめます。しかし全て弟秀吉の意向に沿った”幸福”は、いわゆる「秀次事件」をきっかけに一転して悲劇の結末を迎えました。文禄4年、秀吉への謀叛の罪を咎められて秀次が高野山で自害、その妻子愛妾のほとんどは京都の三条河原で斬られ、日秀尼の夫も讃岐国へと流されます。秀次の弟たちはすでに病によって世を去っており、肉親のほとんどを失ってしまった日秀尼は失意の内に瑞龍寺に隠棲し、その後の生涯を仏門のなかに過ごすこととなります。

彼女は92歳まで長命し、弟の興した豊臣家の滅亡を見届けることとなりますが、彼女にとって豊臣の家など、ただ呪わしいだけの存在でしかなかったことでしょう。事実、豊臣家との断ち切れぬ因縁は生涯にわたって日秀尼を苦しめ続け、大坂城落城の折には孫娘のお菊(唯一生き延びていた秀次の遺児)が、豊臣方の間諜(スパイ)として処刑されるという悲劇に見舞われるのです。

瑞龍寺は関白秀次の悲運と、その母であり憂愁の生涯を送った一人の哀しい婦人の物語を今に伝えています。


村雲御所
日秀尼没後、瑞龍寺は皇族や摂関家の息女が入室する門跡寺院となり、村雲御所の別称で呼ばれました。高貴な女性たちが住まう隠遁の地となったためか、瑞龍寺の建物の造りや内装には古い公卿屋敷のような趣きが感じられます。

村雲御所より蒲生野を望む
瑞龍寺の一室からのぞむ湖東平野。窓外に広がる緑豊かな美しい風景に思わず息を吞んでしまいました。まほろばの地、そんな言葉を思い起こさせる豊饒の景色。大和絵に描かれた古き佳き里山の姿を目にしているようです。


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近江八幡 ~ 八幡堀の風景 ~
2014-10-13 Mon 10:20
京街道筋と新町通りを抜け、豊臣秀次が開いた琵琶湖への水運の路、八幡堀のほとりへとやってきました。

八幡堀の風景2
新町通りの先にある八幡堀の岸辺、新町浜(しんまちはま)。テレビの時代劇では川舟から荷の揚げ降ろしを行う船着場の風景としてしばしば登場します。

八幡堀の風景
満々と水をたたえた八幡堀

八幡堀の風景3
掘割に沿い、岸辺の小道を歩いて行きます。

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岸辺の遊歩道はやがて掘割に架かる明治橋のたもとで行きどまりとなって、水上に続く飛石がこの先の散策路となります。

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明治橋から新町浜を振り返って
水面に枝先を垂らす柳の姿は、昔から愛好されてきた代表的な日本の水辺の風景ですね。

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既に歩き疲れてバランス感覚も鈍くなっています。少しスリリングな気持ちで小さな足場を踏みしめ水の上を渡っていきます。

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飛石を渡り終えた先には、白壁が映える蔵造りの家並みそして濃緑の木々が両岸に続く掘割の風景が広がっていました。

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堀端では、時おり八幡堀めぐりの小舟が低いエンジン音を響かせてゆったりと水路を進んでいくのを目にします。

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川風を受けながら、水上より眺める掘割の風景もまた格別でしょうね。

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道は再び堀沿いの湿地帯に続く飛石へと変わりました。

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良く晴れた皐月の一日、岸辺に咲く黄菖蒲の花が見頃になっています。

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堀端に続く石畳の道

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この風景も時代劇ではおなじみの場面。河川や運河が縦横に張りめぐらされた江戸の町の水景を髣髴とさせる眺めです。長い竿を操ってするすると川中を進んでいく小舟の姿が本当によく似合いそうな景色となっています。

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昭和30年代から続いた高度経済成長期、この八幡堀は旧時代の遺構としてほとんど顧みられることなく、掘割は汚水の溜り場となり、その汚泥に繁茂した水草が両岸の石垣の高さまで堀を埋め尽くしてしまって、さながら『ドブ川』のような惨状を呈していたそうです。危機感を覚えた地元有志と地域住民たちの長年にわたる清掃と修景の努力によって、埋め立ての話が持ち上がるほどの荒廃ぶりから、現在の情緒溢れる水辺の景色へと生まれ変わりました。

今や近江八幡の名所として欠かすことのできない八幡堀ですが、あるいは埋め立てによってその形跡もなくなり、ありふれた町なかの舗装道路などに姿を変えていたかもしれない昔があったことを、こののどかなたたずまいからは感じとることはできません。


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近江八幡 ~ 京街道筋から新町通りへ ~
2014-09-28 Sun 20:51
街の西端にある願成就寺を後にして再び京街道筋へと戻り、真っ直ぐ東へと伸びていくその路をたどっています。

京街道筋
京街道筋。青空のもとまで真っ直ぐに街路が続いていく、そんな感じのする道筋。

京街道筋の街並み
通り沿いには漆喰の外壁に瓦屋根を持つ古い町家が残ります。世代を経て現在に至り、今なお住人の暮らす古民家の姿を目の当たりにできます。

京街道筋の街並み2
町なかの寺院は商家や町家に挟まれて、表門を通り沿いにわずかにのぞかせています。

京街道筋の街並み3
昔ながらの菓子舗の姿。
”でっち羊羹”は近江八幡の他、近畿地方で親しまれるようかんの一つ。高価な煉羊羹と違い、商家に奉公する丁稚(でっち)たちが町土産として郷里に持っていける手頃さと庶民的な味わいからその名前がつけられたといわれています。近江八幡では竹皮に包んだ平たい蒸羊羹を”でっち羊羹”と呼び江戸の昔からこんにちまで長く好まれてきました。

京街道筋の街並み4
昔懐かしい街角のホーロー看板
昭和の女優、浪花千栄子(なにわちえこ)が笑顔で薦める大塚製薬のオロナイン軟膏

扇四呉服店
京街道筋に残る老舗の呉服商、扇四呉服店
享保5年の創業で、初代当主の名をとり中村四郎兵衛邸といわれる近江商人の邸宅でもあります。日頃は滅多に思いつかない”家屋敷”ということばが思い浮かんでくるような立派な構えです。京街道筋に面し現在も呉服商として営業されています。

近江八幡市立資料館
郷土資料館
京街道筋と新町通りの交差する一角にあるのが、近世の近江八幡を象徴する和洋建築を活用した近江八幡市立資料館です。こちらはその施設の一つ、ヴォーリズ建築の郷土資料館。

新町通り
新町通り
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている新町通り。幕末から明治にかけて建てられた商家が立ち並ぶ近江商人の故郷(ふるさと)です。

新町通り2
新町通りを北へ
塀越しに見える見越しの松が日本的な景観を形作っています。

新町通り3

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新町通りの道沿いに見つけたお地蔵さんの祠

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お願い地蔵の祠を過ぎると、新町通りの右側に続く家並みが途切れ、八幡山の山裾を正面にして視界が開けました。八幡堀にたどりつきました。

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近江八幡 ~ 願成就寺境内 ~
2014-08-17 Sun 23:36
願成就寺(がんじょうじゅじ)は京街道筋の西の突きあたり、旧市街西郊の丘に建つ天台宗の寺院です。聖徳太子が近江国に四十八ヶ寺を建立した際、その最後に建てたのがこの願成就寺であると伝えられています。

願成就寺へ
びわ湖百八霊場、湖東名刹二十七霊場の一つですが、ガイドブックに載るような観光名所ではありません。この時は手持ちの近江八幡市街図の端にポツンと記された卍(願成就寺)の印に誘われるように八幡別院からこちらへ足を向けていました。

夏木立
石段を上って丘の上までたどり着くと、境内を囲む木立ちは深く、表通りの風景から一転して幽邃(ゆうすい)という言葉がふさわしい雰囲気に包まれていました。

願成就寺の竹林
境内を包む竹林

境内の石仏
竹藪の道には、3頭身のユーモラスなお地蔵様が立っています。

山麓へ下る小道
麓への下り路。竹藪はやがて途切れ、その先に近江八幡の街が広がります。

願成就寺本堂
願成就寺本堂

地蔵堂
木ノ中地蔵堂
願成就寺の境内にある、木ノ中地蔵大菩薩(国重要文化財)を祀る地蔵堂。鎌倉時代の前期頃の作とされ、一本の木から3体分の用材を切り出し、その真ん中の材を使用したことから木ノ中という名前が付けられたそうです。小さく切られた格子窓から堂内の様子を窺ってみましたが暗がりの中にご本尊の姿を確認することはできませんでした。

縁先から

竹林の空
近江八幡駅からここまで歩き詰めでしたから、地蔵堂の軒下で風にそよぐ竹林を眺めながらひと休みしました。あたりは何種類もの野鳥の鳴き声が絶え間なく、時に多重奏を聞くような賑やかさになっています。鳥たちのさえずりに交じり、通りを行く車のエンジン音やトントンと木槌を振るう作業の音、近隣から聞こえてくるピアノの旋律など、街のくらしの物音もかすかに聞こえてきています。それらに耳を傾けながらの小休止。こういった穴場を見つけ、ゆっくりくつろいだりできるのも一人歩きの楽しみなのかもしれません。

石段の母子願成就寺の石段
願成就寺からの帰りみち、下りの参道ですれ違った親子の姿。母親に手をひかれた男の子は「もう少しや!」と甲高い声をあげて石段を一段ずつ身をよじるように登っていきました。


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近江八幡 ~ 八幡別院から京街道筋へ~
2014-08-14 Thu 18:02
池田町の洋館群を訪れて、初めてヴォーリズ建築に触れることができました。
さてここからどう進路をとろうかと思案中です。
池田町は八幡山の南麓に広がる旧市街の中では西寄りにあたる地区。近江八幡のランドマークである八幡山や八幡堀へは、碁盤の目のように続く街路を北東方向に歩けばたどりつけます。 しかし近江八幡観光の目玉に向かうにはまだ時刻も早い・・・。

考えあぐねて洋風街の道端にたたずんでいると、道沿いの住宅から漏れるテレビの音声が何とはなしに耳に入ってきました。聞き覚えのある女性の声、関東風にポンポンと歯切れの良いセリフの数々・・・。この声は・・・室井滋!
ちょうど時刻は午前8時を回った頃でNHKの朝ドラ(『花子とアン』)が始まっていたようです。土曜日の朝の街歩きでは朝ドラの放送に出くわす のが定番になってきました。

八幡別院
手持ちの地図を眺めてみると、池田町から西の地域にいくつか寺院が点在しているようです。八幡堀散策の前にそれらの寺を訪ねてみることにしました。池田町のダブルハウスから西に向かって歩き出すとすぐに、白い築地塀に囲まれた仏閣が見えてきました。

八幡別院表門
(浄土真宗本願寺派 本願寺八幡別院)
鉄鋲のついた門扉が閉ざされ厳めしくも風格を感じる表門。最前の西光寺よりもさらに外構えの立派な寺院です。関ヶ原の戦いの翌年、徳川家康が上洛した際にはその宿所となり、江戸時代には朝鮮国(李氏朝鮮)から徳川将軍家にあてた朝鮮通信使の接待の場にもなったという格式のある真宗寺院です。

八幡別院門前
八幡別院門前の路地

北元町の蔵屋敷
路地の北側には、旧家の蔵と家屋敷を囲む瓦塀が続いていました。

人は右 車は左 北元町
ここは近江八幡市北元町(きたもとちょう)。江戸時代には寺内(じない)と呼ばれた八幡別院の門前町です。

八幡別院本堂
八幡別院本堂

北元町の路地
八幡別院から続く細い路地を歩いているとき、中学生らしき女の子が二人、傍らを自転車に乗って通り抜けていきました。
「この前、(原宿の)竹下通りに行く予定やったん」 「そうなん?」
通り過ぎざまに二人のそんなやりとりが聞こえてきます。その柔らかな近江ことばを聞いた瞬間、( ああ、西に来たな )と実感しました。普段耳にしている東京周辺の言葉とは違う関西独特の言葉づかいはやはり旅情を掻き立ててくれます。

それにしても竹下通りよりは(京都の)河原町通りや四条通りの方が雰囲気なのになあ、と関東人としての勝手な感想を抱きつつ八幡別院の北の通りをさらに西へと進んで行きました。

荒川牧場
途中で見かけた牛乳製造所。作業場の奥からは、ガラスの牛乳瓶が擦れるキュッキュッという懐かしい音が響いてきていました。

ローソクとお線香の店舗
この八幡別院北側の道は旧市街を東西に貫く古くからの主要道で京街道筋と呼ばれています。その名の通り、西にむかった街道は市街地の西端、願成就寺(がんじょうじゅじ)の丘に行き当たって西南へと向きを変え、近江八幡の町を抜けて京都方面へと続いていきます。かつて朝鮮通信使が江戸への往来の際に通行し朝鮮人街道とも呼ばれた道です。車2台が辛うじて行き交えるほどの道幅しかありませんが、道筋に沿って古い商家や町家の姿が残る古街道となっています。

京街道筋4

京街道筋3

京街道筋

京街道筋2
京街道筋のもと来た道を振り返って

願成就寺附近の町並み願成就寺附近の町並み2
願成就寺附近の町並み4願成就寺附近の町並み3
願成就寺近くの京街道筋の街並み。現代の暮しの中にしっかりと古格を残すたたずまい。

願成就寺へ
西南方向に行先を転じる京街道筋の奥に鬱蒼とした林が見えてきました。願成就寺にたどりつきました。

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近江八幡 ~ 池田町洋風住宅街 ~
2014-07-27 Sun 23:10
八幡小学校の前を過ぎ、住宅街の中を進んでいくと、道はT字路となって右手へと折れる細い路地が現れます。そこを曲がると間もなく、行く手に古い煉瓦塀が続いているのが見えてきました。

池田町洋風住宅街
(池田町洋風住宅街)
ここ池田町(いけだまち)5丁目は若き日のヴォーリズが自宅を構えた場所です。残念ながらこの地にあった旧居は現存していませんが、ヴォーリズ邸に隣接して建てられた彼の手になる洋風住宅群を現在も目にすることができます。

洋風住宅街案内
ヴォーリズ建築に触れる
今に残るこれらの建物は、伝道の志を共にする仲間のために、ヴォーリズが大正の初め頃に設計を行った住居の数々です。

吉田悦蔵旧宅
(吉田悦蔵邸)
池田町に3棟残るヴォーリズの洋風建築の中で最も南側にあるのがこの「吉田悦蔵邸」です。吉田悦蔵は、来日間もないヴォーリズが八幡商業学校の教師として初めて教鞭を執った時の教え子の一人でした。ヴォーリズの説くキリスト教の精神に感化されて15歳でクリスチャンとなり、1911年(明治44年)には、ヴォーリズらと『近江ミッション』(近江基督教伝道団)を結成しました。終生、師友ヴォーリズの傍らにあってその近江伝道を支えた人物です。
(吉田邸は現在も住居として使用されており一般公開はされていません)

ウォーターハウス記念館3
(ウォーターハウス記念館)
吉田邸の北隣にあるのがウォーターハウス記念館です。
ウォーターハウス(Paul B .Waterhouse)も、初期の近江ミッションに加わり、宣教活動に取り組んだ伝道家の一人です。プリンストン大学出身で、学生時代にはレスリングの選手でもあったスポーツマン。ヨットの操縦に長けていたことから、近江ミッションの湖畔伝道船、ガリラヤ丸の船長として活躍しました。そのウォーターハウスが妻とともに住まいとしたのが、こちらの住居です。

ウォーターハウス記念館外観ウォーターハウス記念館案内
ウォーターハウス記念館玄関バルコニーから2階を見上げて
このウォーターハウス記念館も内部は非公開となっています。敷地内から外観のみの拝観となりますがヴォーリズ建築の特徴である、コロニアル・スタイルと呼ばれる南欧的な明るさを感じるデザインが印象的でした。

洋風街の煉瓦塀
ウォーターハウス記念館と吉田邸に続く煉瓦塀

ダブルハウス
ウォーターハウス記念館から2軒ほどを隔てて再び煉瓦の壁が続いていました。

ダブルハウス2

ダブルハウス3
(ダブルハウス)
池田町の洋風街で最も北にあたるのが、このダブルハウスと名付けられた住宅です。その名の通り2件続きの家が二世帯住宅となっている建物です。建築時はヴォーリズの両親や、アメリカ人技師の入居先となり、その後近江ミッションで働くアメリカ人スタッフの暮らす住宅となりました。こちらも現在は一般の住宅として使用されています。

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およそ100年前に東洋の果ての田舎町にもたらされ西洋文化のシンボルともなった洋風住宅の数々。現在では、往時を偲ばせるモニュメントとして、そして今なお人々が暮らす日常の住まいとして、設計者の想いを伝えながら、池田町の住宅街の一角にその姿を残しているようでした。     

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近江八幡 ~ 西光寺から宇津呂町、本町界隈 ~
2014-07-21 Mon 12:01
駅前大通りを中村町附近まで歩いてきました。

古民家の佇まい
中村町交差点を越えてからは通りの幅が少し狭くなり、周囲は住宅地へと変わりました。昔ながらの木造家屋もぽつりぽつりと見受けられるようになっています。

本堂裏から
通りの右側に御堂が見えてきました。寺院の裏口のようですが門構えなどはなく、通りからそのまま境内へと入れるようです。駅前から歩いてきて初めて見かけたお寺、早速境内にお邪魔してみました。

西光寺境内
白砂が敷かれた寺内は広く、本堂に庫裡、鐘楼が建ち、庭木や参道が整然と区画されています。塵一つない、という言葉そのままに掃き清められた境内です。こちらは浄土宗の龍亀山西光寺(りゅうきざん さいこうじ)というお寺です。

西光寺の鐘楼
鐘楼

西光寺本堂
本堂
御堂の背後に広がる青空がとても爽やかです。

庫裡
庫裡

西光寺山門
表門
瓦屋根などの装飾が見事な四脚門(よつあしもん)です。

山門から
鄙びた土地の野趣あふれる古寺の姿も魅力的ですが、人の手で清々しく清められた市中の寺院にたたずむのも良いものです。明るく清浄なこの境内の雰囲気は、瀬戸内海の港町、尾道の寺院を巡って感じた空気と似ていました。近江八幡も尾道もともに商業で栄えた町。豊かな町衆に支えられた明朗な雰囲気が、町と歩みを共にしている寺院のたたずまいにも現れるのだろう、そんなことを考えながらしばらくの間、朝の西光寺に立っていました。

塀越しの鐘楼
      
門前の小路
境内の風情を楽しんだ後、表門を出て門前の路地を北へ向かいました。

宇津呂町 土壁の町屋
路地が最初の四つ角に差しかかるあたりで、周辺の雰囲気はぐっと時代を感じさせるものに変わります。瓦葺きの屋根、土壁(漆喰の剥落が古さを感じさせます)に板張りの外壁、表に面した格子窓と、伝統的な町家造りの住居が通りに沿って見られるようになりました。この辺りからは、道も碁盤の目のように縦横に通じていて、いよいよ近江八幡の旧市街地に入ったのが実感できました。

宇津呂町の辻にて

宇津呂町路地
近世から近代にかけて築かれた町の面影を残す路地が続いていきます。

街なかをゆく

本町の街筋
碁盤の目となっている街筋をぐるぐると歩きながら、足取りは西の方へと向けています。
宇津呂町から本町と呼ばれる地区に入りました。

近江八幡市立八幡小学校
(近江八幡市立八幡小学校)
本町に入ると通りの先に白亜の洋館が見えてきました。
近江八幡市立八幡小学校です。

一見して文明開化の黎明期に建てられた洋館の様にも感じられます。実際の竣工は大正6年(1917年)ということで、老朽化のため平成に入ってから改築工事が行われたそうですが、今見ても十分に明治・大正期の洋風建築の雰囲気を残した建物になっています。このような歴史を感じられる校舎で学校生活を送ることができるのは本当に羨ましいですね。


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近江八幡 ~ 近江八幡駅から駅前大通りを歩く ~
2014-07-13 Sun 22:09
彦根から琵琶湖線に乗って約20分。
JR近江八幡駅に到着しました。

近江八幡駅改札
「水郷と古き商家のたたずまい」 
今に残る古き良き近江八幡の景観を訪ねるべく今回も早朝から街歩きのスタートです。

JR近江八幡駅
(JR近江八幡駅)
近江八幡市は人口約8万2千人。京都への通勤圏にあり、湖東地域の生活環境の良さも手伝って、人口は一貫して増加傾向にあります。過疎化に悩まされることもなく、さりとて大都市ほどの喧噪も無く、地方都市としては程々の賑やかさを保っているまちのようです。

近江八幡駅前広場①
降り立った近江八幡駅の北口には、タクシーや路線バスが駐停車する広いロータリーがあり、その周囲には地元資本のスーパー(HEIWADO)や飲食店などが建ち並んでいます。そしてこれまた駅前の風景らしい、旅行代理店や学習塾などが入った低層のビル群、高い建物としては駅前立地のマンションや写真中央に見えるシティホテル(ホテルニューオウミ)などがあって、いかにも地方都市の玄関口らしい景観となっています。

近江八幡駅前交番
駅前広場に接して建つ近江八幡駅前交番。ヴォーリズ建築を模したようなレトロな洋館風の建物です。

近江八幡駅前広場②
古い商人町の旧観を残す八幡堀周辺の街区へは駅前から北へ2㎞ほどの道のりがあります。路線バスの運行もありますが、朝早く時間に余裕もあるので、市街地の様子を眺めながら駅から歩いて向かうことにしました。ロータリーを渡って、駅前広場から真っ直ぐに北へ伸びる『駅前大通り』を進んでいきます。

駅前大通り
駅前大通り2
土曜日の朝7時前では、さすがに人通りはほとんどありません。

近江牛の名店
駅前大通りを歩きだして間もなく、通り沿いの看板に「本場 近江牛」「ステーキ&しゃぶしゃぶ」の文字が躍っているのを見つけました。近江牛販売の老舗「カネ吉山本」の本店と直営レストラン「ティファニー」の入る店舗ビルが通りに面して建っているためです。本場”近江牛”の文字に惹かれ、早速、昼食と夕食のことで頭がいっぱいになってしまいました。

ぶーめらん通り
とりあえず近江牛のことはいったん頭の隅に押しやり、気を取り直して駅前大通りを進みます。この通りは別名”ぶーめらん通り”の愛称で呼ばれていますが、なぜ唐突に”ぶーめらん”が出てくるのかは後ほど・・・。

洋風の写真館
通りに面して建つ写真店。柔らかな色調と瀟洒な外観が素敵です。

八幡山が見えてきました
駅前大通りはこの辺りからすこし右側に曲がり、ちょうど「く」の字を書くように続いて行きます。これがブーメランの形に似ていることから、ぶーめらん通りとなったのが別名の由来でした。通りの先にはこの町の象徴ともいえる八幡山(はちまんやま)の姿が見えてきました。

ぶーめらん通り2
街の中心通りらしく、附近には企業や金融機関の支店などの入ったビルが点在しています。

中村町南交差点
(中村町南交差点)
駅前大通りを進んできて2つめの交差点が中村町南交差点。この十字路に面して和洋菓子の老舗「たねや」の近江八幡店があります。菓子舗としては明治5年に創業、現在はたねやグループとして和菓子・洋菓子の製造販売と喫茶店舗の運営などを手がけています。グループの別業態「クラブハリエ」のバウムクーヘンは全国的にもかなり有名。(実を言うとこの旅行の後で知りました・・・)それぞれの分野(商品)で名の通った老舗が多いのも古くからの商都だからこそでしょう。

通りの風景
たねやの斜め向かいにある寿司・割烹のお店「ひさご寿司」
歓送迎会や法事・会合の席に大活躍しそうな大きな店構えの料理屋さんです。
駅前大通りは街の中心街らしく、なかなかのグルメ通りでもあるようです。

桜宮町交差点
(桜宮町交差点)

桜宮町交差点付近
桜宮町交差点から左右に通じる道は近江八幡市役所に沿う官庁街通り。曇り模様の初夏の空が道の向こうに大きく広がっていて、この土地の雰囲気にあったなかなかのんびりとしたお役所通りとなっていました。

住宅地の中の田んぼ
交差点を越えてさらに進んでいくと、周辺の景色は商業ビルやマンションが建ち並ぶ目抜き通りのものから住宅地の風景へと変わっていきました。

中村町界隈
中村町の辺りまで歩いてきました。八幡山がだいぶ間近に見えるようになり、街並みの雰囲気もぐっとのどかさが増してきています。

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近江八幡 ~ 近江路の朝 ~
2014-07-06 Sun 12:26
近江八幡への一人旅、旅の出発はJR池袋駅前からはじまります。今回は夜行高速バスのびわこドリーム号に乗車して滋賀県を目指しました。夜行バスの利点は、なんと言っても翌日早朝に目的地へ到着できること。朝5時台に終着地に着くというバス路線も珍しくありません。朝早くから旅先の土地を動き回りたい一人旅の身には大変便利な乗物です。

5月のある週末、休日を前に遅くまで賑わう池袋駅前を22時過ぎに出発したびわこドリーム号は、途中1度の休憩を挟み、東名高速から翌日早朝に名神高速道路へ入りました。そして岐阜県の養老サービスエリアに停車して2度目の休憩を迎えます。

養老サービスエリア
(養老サービスエリア)
時刻は朝の5時ごろ。普段は新幹線や高速バスに乗って通過するばかりで、短い時間にしろ岐阜の地を踏んだのはこれが初めてです。この養老サービスエリア(岐阜県養老郡養老町)は日本史上で最も名高い古戦場である関ヶ原に隣接する場所にあります。

手前に見えている小高い山が象鼻山、その奥に続く山並みが南宮山でしょうか。南宮山は関ヶ原の戦いで西軍の毛利秀元が布陣した山地です。名神高速道路はその南宮山の南を通って関ヶ原盆地の南端を進み、松尾山(西軍から東軍に寝返った小早川秀秋の陣所跡)の北側から旧中山道(なかせんどう)と並行するように滋賀県へ、旧国名でいう近江国(おうみのくに)へと続いていきます。

びわこドリーム号
今回乗車した”びわこドリーム号”。このバスの終着地は滋賀県の大津市(浜大津)ですが、今回はJR彦根駅前で下車し、琵琶湖線(東海道本線)に乗って近江八幡駅を目指すことにしました。

バスの車窓から
関ヶ原から一路西へ進み、岐阜・滋賀県境にあたる伊吹山地と鈴鹿山脈の間の山道を越えて行くと、かつて司馬遼太郎や池波正太郎がこよなく愛した近江の山野が窓外に広がってきました。

彦根で下車
田園と丘陵の広がる中を進んだびわこドリーム号は、やがて米原(まいばら)から彦根へ続く市街地へと入ります。そして到着したJR彦根駅西口でドリーム号から下車。この先、終点の浜大津へと向かうバスを見送った後、彦根駅へと向かいました。現在、近江八幡に停車する高速バスの路線は設定されていないようで、高速バスを利用する場合には彦根や大津などで下車し、JRで近江八幡を目指すのが一般的なアクセス方法となっています。

琵琶湖線路線図
(彦根駅構内)
近江八幡は彦根から京都方面へ6駅。乗車時間は20分ほどです。

姫路方面網干行き普通列車へ
(京都方面のホームにて)
てっきり京都か大阪あたりが行先に表示されるだろうと思っていた案内板には「網干」(あぼし)の文字が。「網干ってどこだろう?ひょっとして別方向に行く列車じゃないか?」と一瞬不安になりますが、まあ『琵琶湖線 草津・京都方面』とあるので間違いはないだろうと間もなく入線してきた列車に乗りこみました。

※網干は、姫路から3駅西にある山陽本線の小さな駅でした。

琵琶湖線車内
(琵琶湖線車内)
琵琶湖線は、東京~神戸間を走る東海道本線のうち米原から京都までの間と、さらに米原から長浜までの北陸本線区間に付けられた愛称です。

琵琶湖線の車窓から①
JR彦根駅を発車して、列車は、南彦根、河瀬、稲枝・・・と進みます。彦根の市街地から徐々に住宅が点在する郊外の風景へ、緑が増え電柱やビニールハウスなどの目立つ平地の景色へと変わってゆき、やがて田植えを済ませたばかりの水田が車窓一面に広がるようになりました。

琵琶湖線の車窓から②
窓外に広がる近江平野
琵琶湖線の車窓から③
太陽が雲の間に隠れてしまったようで、早朝の淡い薄水色の空の下はモノクロのように陰っています。しかし満々と水の張られた田圃が遥か向かいの山並みのふもとまで続く様子は感動的で、まさに近江は豊饒の地だと実感させてくれます。

近江八幡へ
美田風景の中を進んだ琵琶湖線は目的地の近江八幡駅に到着しました。

早朝の駅ホーム
JR近江八幡駅
時刻はまだ朝の6時半前。今日は1日たっぷりと街歩きができるぞ、と意気込んで改札へと向かいました。

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