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信州飯山 ~忠恩寺・称念寺境内~
2013-02-24 Sun 14:36
浄土宗の忠恩寺は飯山藩主であった松平家、本多家が菩提寺とした由緒ある寺院です。

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石垣の上に鐘楼が見えてきました。

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忠恩寺の山門

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忠恩寺本堂
木立を背にしてとても風格のある構えです。

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こちらが庫裡。堂々とした破風が目を引きます。

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境内からは城蔵山など千曲川の川向こうに聳える峰々の姿が眺められます。

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屋根瓦には藩主本多家の家紋、本多立ち葵が施されています。

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忠恩寺に隣接して浄土真宗大谷派の称念寺があります。忠恩寺山門の傍から立派な称念寺の鐘楼が見えています。


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鐘楼に重なる楓の枝振りが非常に見事です。

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鐘楼脇の坂をのぼって称念寺の庭へと入ってきました。

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庫裡の佇まいも昔風ですね。式台の付いた玄関が旧幕時代のお屋敷を思わせます。

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苔むした庭には盛んに楓の樹が植えられています。今はまだ緑一色ですが、紅葉の時期には境内が一面綾錦に彩られることでしょう。

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山門の入り口より境内を眺めると、校倉式の本堂を覆い隠すように楓の樹が茂っています。

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称念寺山門も楓の葉や萩の枝に深く覆われています。
深秋のひと時、紅葉に彩られた姿を見に再びこの場所を訪れたく思いました。

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信州飯山 ~正受庵より続く稲田の風景と附近逍遥~
2013-02-17 Sun 16:14
正受庵の裏手には畑地と稲田の風景が広がっています。

正受庵裏の畑

稲穂の波

黄金に輝く
一面、黄金色の稲穂の海です。
その中に分け入り、農夫が稲刈機を操ってゆっくりと進みます。

稲刈る農婦

青空と稲田と

刈入れ作業
手鎌を使ったザッ、ザッ、という稲刈りの音、刈られた稲を纏めるサワサワという手作業の音
季節は9月中旬、まだ残暑が厳しい中での稲の刈入れです。

稲束の風景
実りの秋を実感する稲束の風景

西回り線
このあたりには広い路側帯を持つ西回り線と呼ばれる市道が田園に沿って南北に走っています。

畑地からの正受庵禅堂
ひとしきり稲田の景色を眺めた後、道を引き返して、正受庵を囲む坂を下ります。

飯山散歩
ご婦人たちのグループも、昼下がりの野山逍遥と寺巡りの途次のようです。

正受庵の丘に沿う坂道

飯山、山野遠景1
「きはだちて ふかき峯とてあらなくに この地のすがた われは親しむ」
道々、アララギ派の歌人土田耕平が讃えた穏やかな山野が遥かに広がります。

飯山、山野遠景2
市街から見て南東方向にあたる、ちょうど駱駝のコブのように見えている一帯が高社山でしょうか。

奈良沢、路傍の草花

奈良沢、沿道の畑の広がり
沿道に田畑や草花の続く奈良沢の地区

飯山シャンツェの斜面
この附近からは左手の丘陵地に、スキーのジャンプ台、飯山シャンツェを見ることができます。

忠恩寺への道
やがて道の先に緩やかな丘をのぼる坂道が見えてきて、間もなく歴代藩主の菩提寺である忠恩寺へと辿りつきます。



旅の地図 ←飯山の位置はこちらの地図をご覧ください。

信州飯山 ~飯山駅より善覚寺まで~←寺院の場所など市街地案内図はこちらを。

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信州飯山 ~街中より正受庵へ~
2013-02-11 Mon 08:25
茅葺き屋根の山門が素晴らしい西敬寺を後にして、山の手の寺院巡りに向かいます。(下の写真は西敬寺踏切より、北飯山駅方面の風景です)

西敬寺踏切、北飯山へ

街の案内

斑尾高原への道
こちらが飯山市街から斑尾高原へ向かう主要道路です。西敬寺踏切を渡ってから左折する道路ですが、北陸新幹線開業後には現在のJR飯山駅の跡地に斑尾高原と繋がる新道が建設されるとのこと。新幹線駅の開業をひかえて飯山の街づくりが着々と進行しているようです。

四輪車の姿
四輪車に乗って傍らをゆっくりと通り過ぎていったお婆ちゃんの姿がとても長閑で・・・


北信濃逍遥の画家たち
途中、飯山市美術館の看板をみつけて足を止めました。

飯山市美術館
公民館や図書館など市の公共施設が集まった建物の一角に美術館が設置されていました。この日は「北信濃逍遥の画家たち ~生きること 描くこと~」という企画展が開催中で、ここ飯山市に生まれ育った7人の洋画家・日本画家諸氏の描いた作品が紹介されていました。いずれの作品も飯山や北信濃の自然風景或いはこの地に暮らす人々の生活描写をそれぞれ独自の画題・技法により描いたものです。

飯山市公民館のブログ ← 企画展のパンフレットがクリックでご覧いただけます。

花と青空

正受庵への道程1
美術館を出て、山の手へ歩いていきます。

正受庵への道程2
まもなく長野県の指定史跡である正受庵に到着します。

正受庵への道程3

正受庵への道程4

白隠の蹴落とし坂
正受庵の登り坂
自然石の石畳がごつごつとして少々歩きづらく・・・
こちらは、「白隠蹴落し坂」といわれているそうです。

穏やかな飯山の風景
登り坂の途中で街を振り返ると眼下に飯山盆地が広がり、穏やかな北信の峰々も望めます。

正受庵
坂を登りきると、臨済宗の名僧、道鏡慧端(どうきょうえたん)が終の棲家とした庵(正受庵)が木立の中にひっそりと建っていました。道鏡慧端は地元では庵名からとった正受老人の名前で親しまれています。

道鏡慧端(正受老人)は、信州松代藩の初代藩主である真田信之の庶子として誕生したと伝わっています。故あって母とともに飯山城の内に引き取られ、19歳になるまでの歳月をこの飯山で過ごします。当時の飯山藩主松平忠倶の参勤に従って江戸に出た後、至道無難(しどうぶなん)の下で出家し、厳しい修行の末に印可を得て飯山に帰郷、松平忠倶より一庵を与えられて正受庵を開きます。以後、その生涯のほとんどをここ飯山正受庵にて臨済禅への精進に過ごし、享保6(1721)年80歳の天寿を全うしたといわれています。
江戸時代中期、衰微しつつあった臨済宗の復興に力を尽くし、臨済宗中興の祖と仰がれる白隠慧鶴(はくいんえかく/白隠禅師)は、この正受老人に師事し時には縁先から蹴落とされるなどの厳しい指導を受けながら、彼の下でついに大悟したと伝えられています。先程の「白隠蹴落し坂」は、初めて来庵した白隠の慢心を見抜いた正受老人が坂の上より白隠を蹴り落して戒めたと伝えられる故事に因んだ名前です。歴代藩主からの寺領堂塔の寄進や水戸藩の徳川光圀の招請を固辞するなど、世俗の名利を求めずひたすら禅の修行に生涯を送った名僧の遺蹟がここにあります。正受庵は正受老人没後の荒廃や、度々の地震などで幾度も修築・再興が行われており、近年では平成16年の新潟県中越地震による損傷と老朽化を受けて大規模な改修が施され現在の姿に至っているとのことでした。

映画『阿弥陀堂だより』の中では、寺尾聰演じる主人公上田孝夫の恩師の幸田先生(田村高廣)が暮らす隠居所としてこの庵が登場します。この時は新潟県中越地震による改修工事前の建物がロケに使われており、往時の様子をこの映像の中で偲ぶことができます。


庵の庭より
庵のある丘の上は平地が少なく手狭です。角度を変えて庵の全景を映そうとしましたが、思うようにいきません。

正受庵鐘楼
鐘楼は、昭和39年に飯山城跡よりこちらに移築したもの。もとは市街地の近傍、愛宕山の大輪院に置かれ、愛宕の鐘と呼ばれて親しまれていたそうです。

庵の風景1

庵の風景2

庵の風景3

庵の風景4

秋の訪れ近し
庵を後にして裏手の下り坂へ。ススキの穂が群生していて暑さの中にも秋の訪れが感じられる道です。

禅堂
坂の下の境内には庫裡と禅堂が。こちらの禅堂は今なお修行道場としても使用されているとのことです。この日は扉は固く閉ざされ参禅する人の気配はありませんでした。

庫裡
こちらは庫裡

正受庵案内図

仏前にて
禅堂前の仏様。


(追記)
※2月9日、10日は今回で第31回を数える恒例の「いいやま雪まつり」が開催され、幸いに晴天に恵まれて多くの人出で賑わった模様です。雪景の本場(?)といえる冬の飯山、機会を見つけて一度足を運んでみたいと思っています。


旅の地図 ←飯山の位置はこちらの地図をご覧ください。

信州飯山 ~飯山駅より善覚寺まで~←寺院の場所など市街地案内図はこちらを。

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