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房総風景 ~ 金谷の港と町並を廻る ~
2015-03-30 Mon 01:06
早春の一日、地元を走るJR内房線に乗って房総半島を南に下ってみました。

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内房線の普通列車は南下する一駅ごとに、扉の外に春の息吹きを感じさせる景色を見せてくれます。

いくつか駅を過ぎた後、列車は浜金谷駅(はまかなやえき)で、上り列車との待ち合わせのためにしばらく停車しました。浜金谷駅のある富津市金谷は、東京湾を渡るフェリー港のある港町。そこに向かうらしい行楽客が何人もホームへ降り立っていきます。にぎやかなその姿を見ていて、本当はもう少し南の方まで行ってみようと思っていたのですが、久しぶりにフェリー港の様子を見てみようかという気持ちになって、自分も浜金谷で下車してみることにしました。

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JR浜金谷駅ホーム
待ち合わせ時間中、下り列車の車掌さんも外に出て小休止です。

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間もなく千葉行きの上り列車が到着し、この地域では単線となっている内房線の列車が行き違います。

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鋸山(のこぎりやま)
駅の跨線橋からは房州との境にそびえる鋸山の、その名の通り絶壁の山並みが望めます。

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構内に掲げられた「就航」の文字。穏やかなこの日和、東京湾を横断するフェリーも無事に運行しているようです。

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JR浜金谷駅

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この附近の内房線の駅風景と同じく、駅前の小さな広場からは細い道路が海側に向かって伸び、数件の商店がその周りに店を開いているという海辺の町らしい光景が続きます。たまには周辺の集落を廻ってみようか・・・と思案しながらも、なんとなく足は通い慣れたフェリー港への道筋に向いてしまいました。

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フェリー港への道すがら、沿道の民家を囲う堅牢な石塀が道行く人の目をひきます。柔らかく整形しやすい「房州石」と称される凝灰質の石材は、この金谷など富津市南部から鋸山の南、安房郡鋸南町の一帯で明治の末頃まで盛んに産出され、江戸~東京、横浜といった対岸の都市へ海を渡って運ばれました。

時代は移り建築用材としての需要がなくなった今では産業としての採石は廃れてしまいましたが、「石のまち」としての伝統を今に活かそうと、近年では金谷の町なかに房州石を使った彫刻や美術館(金谷美術館)が建てられるなど、地域活性化の原動力として再び注目されているそうです。

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通りの一角にある合掌造りの古民家は、その昔、飛騨地方から移築したもの。

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石塀の向こうの立派な椰子と蘇鉄・・・、気候風土に合うのかこれらを庭木として植えるのはここ南房総ではよく見慣れた光景です。

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乾いた石灰色の石積みに囲まれ、温暖な南国の雰囲気を感じさせる邸宅。フェリー港への行き帰り、そのたたずまいがいつも印象に残ってしまう、街路沿いの民家です。
(国登録有形文化財:鈴木家住宅主屋ほか)

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フェリー港近く、地元内房(房総半島の東京湾側)の海の幸を売る鮮魚店には観光客の姿も多く見られました。

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東京湾フェリーの発着所まで歩いてきました。三浦半島の久里浜港から到着した船が接岸し、車両の下船が続いています。

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フェリー港に続く岸壁と鋸山の山系

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フェリー乗り場へ続くサービスセンター内では房総の特産品が一堂に揃えられ、見た目にも、色とりどりの土産物を見て回れるようになっています。

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富浦のびわ、八街の落花生、和田の鯨、富津の海苔、そして勝浦タンタンメン(!)
あらためて眺めてみると房総は農産物も海の幸も随分と豊富なことに気づかされました。

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地元で採れた柑橘類や野菜、草花の即売も行われていました。

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最後に東京湾フェリーに乗ったのはいつだったか・・・。
天気も良いので久しぶりにフェリーの「かなや丸」に乗船してみることにしました。

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やがて出航の時刻となり「かなや丸」は金谷港を出港しました。白い航跡を残し、対岸にある横須賀市の久里浜港に向かって進んでいきます。およそ35分の船旅です。


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鎌倉小景 ~ 夏の街角風景(2) ~
2015-03-22 Sun 10:18
以前に掲載した ”鎌倉小景 ~ 夏の街角風景 ~” の続編です。
昨年2014年の夏の鎌倉を歩いた記事ですが、
筆が進まずすっかりお蔵入りにしていた題材です。

先日稲村ヶ崎を訪れたという、(勝手に畏友とする)Yさんのblog記事に触発され
(便乗して)ようやく書き上げることができました。深謝しつつ、あらためて夏の鎌倉の
光景を思い返してみたいと思います。

葉月(8月)
江ノ電鎌倉駅
江ノ島電鉄の鎌倉駅、午前中の構内風景です。
この日は海辺の景色を訪ねて、藤沢へと向かう300形電車に乗車し
江ノ電沿いを行くことにしました。

鎌倉高校前駅へ
江ノ電は鎌倉の市街地を抜けて海岸沿いを進み、やがて鎌倉高校前駅へと到着します。

鎌倉高校前駅ホームから
波荒い相模湾と江の島と、そして国道134号。この季節、鎌倉高校前駅から見る海辺の風景は、ほんとうに”湘南の夏”を感じさせてくれます。見晴らしのいい駅ホームのベンチに座って、少し文章を考えたり、気軽に文庫本を開いてみたり、あるいは身近な事柄にあれこれ思いを巡らせて過ごすのが、このホームに降りる時のささやかな愉しみになります。

稲村ケ崎駅へ
海辺の風景をゆっくり楽しんだ後は、鎌倉高校前からふた駅戻って稲村ヶ崎駅へと移動します。

稲村ケ崎ホーム
こちらも江ノ電の駅らしく小さなホームです。稲村ヶ崎周辺は映画「ホットロード」のロケ地だったそうで、映画のポスターがホーム上に何枚も貼られていました。

稲村ケ崎ホーム2
駅前の街並みに接する距離感がとてもいいですね。

稲村ケ崎駅出口
江ノ島電鉄 稲村ヶ崎駅

駅前の店構え
駅前の通りは対向車が辛うじて行き交えるだけの細い生活道路です。この場所で昔から続いている様子の肉屋さん、食料雑貨店、青果店に鮮魚のお店が1軒ずつ並んだミニ商店街の中にワインバルを見つけました。スペインワインを扱う某社が経営しているVale(ヴァレ)さんです。雰囲気ある酒場は、それだけで周囲の街並みの印象を快活なものにしてくれます。

海がのぞく
通りを進むと路地の向こう、家々の間から海がのぞきました。浜辺はもうすぐです。

稲村ケ崎海岸
照りつける日差しに半身を晒しながら男性は打ち寄せる波にじっと視線を向け続ける。彫像のように動かない主人の周りを彼の相棒はつかず離れず歩き回り、時折立ち止まっては飼い主の姿を見つめて、身じろぎもしないその様子に再び頭(こうべ)を下げゆっくりと歩みを進めていく・・・

時間の過ぎるまま、ぼんやりと眺め続けた稲村ヶ崎の浜辺での光景。輝く太陽、夏の砂浜、湘南の海、このロケーションは見る者に詩的な感興を掻き立ててくれるようです。

稲村ケ崎海岸2
鎌倉高校前より遠ざかった江の島の遠景。ここからは西の海上に少し霞んで見えていました。

稲村ケ崎海岸3
海岸の東側には地名の由来である稲村ヶ崎が海中にその岬の突端を突き出し、砂浜の行く手を遮っていました。その向こうは鎌倉市街の西端、坂ノ下と極楽寺の町が続いています。

池田丸
浜辺から国道134号線沿いに上ると、旅行雑誌でも有名な飲食店が軒を連ねています。
こちらは腰越の漁師さんが営む地魚料理の『池田丸』稲村ヶ崎店

タベルナ ロンディーノ
こちらはカジュアルにイタリアンが楽しめる 『タベルナ ロンディーノ』
海浜に続くランチスポットを巡って下見をしつつ、訪問の機会を窺っておくようにしましょう。

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さて、この日は稲村ケ崎から鎌倉の町なかに戻ってのお昼です。
お馴染みにさせてもらっているスペイン料理屋さんで。

マッシュルームのアヒージョ

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サングリア、この日は珍しく白ワインで。確かに白の方が軽くさっぱりといただけますね。

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ししとうのフリット
お隣に座ったお客さんからの頂きものでした。辛みが少なくて食べやすい。
スペインのししとうですが、岩手の生産農家を見つけて取り寄せたそう。
食材ひとつにも思い入れを感じます。


江ノ電に乗り、海辺の風光を楽しんだ夏の一日。
その記憶を振り返りつつ今年も夏の訪れを心待ちにする、肌寒い早春の今日この頃です。


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横浜散歩 ~ 関内の風景(1) ~
2015-03-18 Wed 05:27
今回は横浜を歩いています。

ここ数年、鎌倉散策の行き帰りに東京湾アクアラインを通る高速バスとJR横須賀線との乗り継ぎで横浜駅やバスターミナルなどを頻繁に利用するようになりましたが、本格的に横浜の街なかを歩いたことはありません。そこで、先日所用でJR関内駅(かんないえき/横浜市中区)に降りたのを幸い、関内駅周辺の街並をゆっくりと歩いてみることにしました。

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こちらは関内に向かう前のJR横浜駅の根岸線ホームです。
(やはり崎陽軒の店舗を目にすると、「横浜に来て居るなあ」と実感できますね)

”根岸線”という名は、この辺の地理に不慣れな自分には随分ローカルな路線名(地名)のように聞こえますが、実際は横浜から桜木町、関内、石川町、そして山手と、幕末~明治期の開港場や外国人居留地から発展した歴史ある地区を抜ける横浜の主要路線となっています。横浜駅を出発しておよそ5~6分で列車は関内駅に到着します。


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関内駅の南口改札を出るとすぐ目の前には横浜市庁舎の建物が続いていました。場所柄か駅前は落ち着いた雰囲気で、なんとなく大学のキャンパス内を歩いているような気分になります。

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駅前から道なりに市役所の敷地に沿って東側へ進んでゆくと、通りの向こうに横浜DeNAベイスターズの本拠地、横浜スタジアムが見えてきました。

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この通り(みなと大通り)を渡って、今度は横浜スタジアムを右手に見ながら歩道を歩いていきます。

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スタジアムに隣接して横浜公園の緑地や広場が続きます。

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ビルの林立する都会の一角に住民の生活が感じられて何だかホッとしますね。

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みなと大通りをさらに進んでいくと、道の向こう側に美しい煉瓦造りの洋風建築、横浜市開港記念会館が見えてきました。

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この会館は1909年(明治42年)横浜開港50周年の記念事業として計画され、1917年(大正6年)に完成をみた歴史的建造物です。関東大震災での被災や太平洋戦争後にアメリカ軍に接収されるなどの危機を経ながらも、平成元年には国の重要文化財に指定され、今なお横浜市中区の公会堂として存続し、広く一般に利用されています。

この開港記念会館のシンボルである画像右の時計塔は神奈川県庁(キング)及び横浜税関(クイーン)の塔と共に「横浜三塔」に数えられ、「ジャックの塔」の愛称で横浜市民に親しまれています。 

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そして開港記念会館の建っている横浜市中区の本町1丁目は、明治期に日本美術興隆の原動力となった岡倉天心(本名:覚三)の生まれた場所でもあります。

天心は西欧化という生活文化の急激な変容の中で、時代遅れとされた日本伝統の美の素晴らしさを強く認識し、しかも守旧にとどまらず、時代に即した新しい日本美術の創造を目指して活動を続けた人物です。彼は思想家・教育家あるいは美術行政家であって、彼自身が直接絵筆を執り、新たな美の形を世に問うたわけではありませんが、後に近代日本画の大家として名を馳せる若き日の横山大観、下村観山らは天心に深く師事し、その指導下で彼ら一代の作風を確立させました。

自らが創始した日本美術院(『院展』で知られる)において、大観ら若き俊英たちの才能を花開かせたことにより、彼が我が国の美術界に与えた影響は非常に大きく、まさに近代日本の偉人の一人というべき人物なのです。

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みなと大通りが国道133号線と交わる開港記念会館そばの交差点を右に折れると、向かい側には神奈川県庁舎が見えてきます。文明開化の匂いを残しているような和洋折衷の塔が目印です。庁舎のてっぺんにそびえるこの塔屋が横浜三塔の一つ「キングの塔」です。

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この日の目的地だった横浜情報文化センターに着きました。ここの8階が放送ライブラリで、NHKや民放各局が過去に放映したテレビ・ラジオ番組やCMなどを無料で視聴することができます。

他の街にはない、こういった文化娯楽施設があるのも横浜ならではの特色ですね。休日とあってライブラリにもそこそこ人出があり、図書館で蔵書を閲覧するように、利用者がそれぞれ思い入れのある番組、見逃してしまった名作に見入っていました。

(お隣の男性も、昭和51年放送のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」、そして往年の国民的コント番組「8時だョ!全員集合 」の懐かしい映像を見てとてもご満悦の様子でした)

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近江八幡 ~ 近江八幡の水郷 ~
2015-03-01 Sun 02:07
近江八幡の名所の一つにあげられるのが、市街地の郊外に広がる水郷の風景です。

琵琶湖から引かれた八幡堀の水路は八幡山の南麓を東へと抜けると、北之庄町の辺りでヨシ原の続く水景へとその姿を変え、琵琶湖の湖畔に形成された内湖である西の湖(にしのこ)に通じます。入り組んだ水路や沼沢が続く、この八幡堀から西の湖一帯の水辺を川舟で巡ってゆくのが近江八幡名物の「水郷めぐり」です。

水郷めぐりの船着場へ
今回、乗船したのは、水郷めぐりの草分けである「近江和船観光協同組合」さんの手漕ぎ舟です。かつて『街道をゆく』(近江散歩)の取材で訪れた作家の司馬遼太郎氏もこちらの和船に乗って初冬の水郷風景を楽しみました。

手漕ぎ船
近江和船観光協同組合さんの豊年橋の船乗場(北之庄町)。1日に2回、午前10時と午後3時にここを出発する乗合船が「かいつぶり丸」です。4月から11月の間は無休で運行されています。このほか予約による貸切船は通年で営業し、船上での飲食も注文に応じて提供してくれるそうです。春夏秋冬、それぞれに趣のある水辺の景観を楽しみながら、水上でゆったりと一献傾けるのも舟遊びの醍醐味ですね。

船頭さん

水郷へ
出発の時刻となり、和船は水路の中央へと漕ぎ出されていきました。

水郷風景
しばらく細い水路を行くと川幅は急に広くなり、水面の広がりの中を手漕ぎ船は進むようになりました。いよいよ湖沼の続く水郷地帯へと入ったようです。

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水辺には思いのほか緑が多く、水中から伸びる樹木の幹や枝葉の茂み、そして群生するヨシの原がゆっくりと目の前を過ぎていきます。

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船中の乗客
この日の乗合船には親子連れや数人のご婦人方が同乗し、暖かな陽光をうけながら穏やかな舟行きを楽しんでいました。

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巧みに櫓を操るのは老船頭の喜一さん。小兵(こひょう)ながら確りとした体躯で「よいしょー、よいしょー」という掛け声とともに力強く櫓を漕いで舟を進めていきます。

「ほら、カルガモもおりやんな」

「粽(ちまき)言うたら、ふつう、笹の葉を巻いて作るやろ。この辺だとここに生えとるヨシの葉を使うて作るんや」

喜一さんは櫓を漕ぎながら、水辺に棲む生き物や植物の生態、水郷の暮らしぶりなどを休む間もなく解説してくれます。この場所は嫁入り水道と呼ばれる水路。土手には桜の樹がたくさん植えられていて、春の盛りには満開の花の下を舟で行くことができます。

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舟行きの途中、所々で鰻やニコロブナを捕るしかけを目にします。水路の周囲には田んぼもあって、ここが北之庄に暮らす人々の生活空間でもあることがわかります。

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飛脚が走り抜けたり、藤田まこと扮する『剣客商売』の主人公、秋山小兵衛が悠揚迫らぬ様子で歩いていたり、そんな場面が思い浮かぶ木の橋の下をくぐり抜け、和船は時速4㎞ほどの舟足でゆるゆると進んでいっています。

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湖上を吹く風が強まり、静かだった水面がにわかに波だってきました。

「さ、こっからは少し無口になるで」

今まで饒舌だった喜一さんが不意に口を閉ざすと、櫓漕ぎに合わせてゆったりと左右に揺れていた舟の動きが止まり、突然、ガッガッガッガッと小刻みに鈍い(強い)衝撃が伝わってきました。櫓を縦に使って水底を突くかなにかして、その反動で徐々に舟を進めているような感触です。おそらく向い風の中を進むための操法なのでしょう。おそらく、というのは風にあおられてから舟の揺れが大きくなっていて、後方の喜一さんを振り返る余裕も無かったからです。表むきは平然と舟の行く手に視線をむけつつ、内心ではかなりドキドキしながら、身を固くして強風の中を舟が進んでいくことを祈っていました。

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しばらくすると向かい風はおさまり、再び静かな水面が戻ってきました。こちらの緊張も解けてホッと一息です。

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「あれが安土山や」
和船は進み、広々とした湖畔風景が続く中、喜一さんの指し示す方向になだらかな山容の安土山が見えてきました。

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岸辺には刈り残したヨシが枯れた色あいのまま若い青葉のそれに混じって残っています。

『街道をゆく』(近江散歩)の中では、この”よし(ヨシ)”と”あし(アシ)”の違いが語られています。
広辞苑などでは、「よし」は「あし(葦)に同じ」とあり、水辺に生えるイネ科の多年草のことで葦、蘆、葭などの字をあて「あし」とも「よし」とも訓む。しかし、この土地では「よし」は節と節との間が空になっていて軽く、「あし」は中身が詰まっているものとして区別している・・・。
”あしの茎に綿毛がつまっていて、よしの茎は空っぽだということから、このあたりでは、あの人は腹に一物のある人だという場合、あの人はあしだから、と言うんです。”

司馬さんは和船の船頭さんとのやり取りから、近江八幡の水郷地帯でいう、よしとあしとの違いをこのように記しています。司馬さんが訪れてからおよそ30年、当時と種々の変化はあるにしろ、今なお水郷のよしは健在で、四季折々訪れる旅人の目を楽しませてくれています。

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ヨシ原をくぐり抜け、さらに川舟は進む

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水郷はたくさんの水棲生物が暮らす場所でもあります。水中からのそのそと這い上がって、のんびりと甲羅干しを始めた亀の姿。とてもかわいらしい。

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よしの大竜神
ヨシの群生する中洲には、水郷の守り神がひっそりと祀られていました。

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五月の午後、明るい陽光の下でも、遠く続くヨシ原の風景は何となくもの哀しさを感じさせます。

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水上を行く手漕ぎ船の孤影にも郷愁をそそられます。

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約80分の水郷めぐりを終えて和船は豊年橋へと帰りつきました。現代の日常生活ではなかなか身近に接することのできない、水辺の自然風景やそこに住む人々の暮らしをたっぷりと堪能できる時間でした。

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