晩春の一日、飛騨高山に出かけてきました。
飛騨地方は岐阜県東北部に広がる山岳地帯、旧国名でいう飛騨国の領域を指し、高山市をはじめ岐阜県内の三市一村(飛騨市・下呂市・白川村)がこの地域に該当します。
交通網が未整備であった江戸期以前はもちろん、近代においても昭和の初めに鉄道が敷かれるまでは、飛騨山脈(北アルプス)に代表されるこの地の険しい地形と寒冷な気候によって、他と隔絶された山国として知られてきました。
現在でも「秘境」といった言葉が当てはまるような場所ではないか?未知の山里への憧れもあって、そんな期待と想像を膨らませながらいつかは訪ねてみたいと考えていた土地でした。
この日は夜明け前の高山市街に到着し、早速JR高山本線の上り列車に乗り込んで、念願の飛騨路の旅を始めたのでした。

高山から岐阜方面に一駅進んだところが飛騨一ノ宮(高山市一之宮町)。かつて飛騨国の一ノ宮として崇敬された水無神社(みなしじんじゃ)というお社のある在所で、高山市に編入される以前は、宮村と呼ばれていた所です。
司馬遼太郎さん、白洲正子さんの紀行文の中で、水無神社とともに、この土地にある「臥龍の桜」(がりゅうのさくら)という古木が賞賛されていて、今回の飛騨への旅では是非この近辺を歩いてみようと思い訪ねたのです。

飛騨一ノ宮駅から南に伸びる道をたどってゆくと、田園の中に桜の樹々が点在するひらけた村落風景が広がるようになりました。この附近は、飛騨南西の川上岳(かおれだけ)から発した宮川(みやがわ)が東に向かって流れる山間の小盆地となっています。

宮川に架かる一ノ宮橋のたもとまで歩いてくると、川向こうに横たわった峰の天辺を厚い雲が深く覆っていて、早朝の冷気と相俟って幻想的な空気が漂っているように感じられました。

宮川河畔

宮川を渡り、畔道を進んでゆくと再び細流に行きあたりました。この小さな川の両岸にはまだ散り残る桜の花が続いていて、早朝のおぼろ気な雰囲気と相俟って、昔話の中に登場する理想郷を思わせる光景となっていました。

土手の桜並木

このしだれ桜はまだ散り始めの様子。軽やかに垂れ下がった枝ぶりも華やかに色づいています。

周囲の山並みの頂きは煙の様に湧きだした雲に覆われて見えず、その峰々が迫る狭い盆地の底を歩いています。

飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)
飛騨一ノ宮駅からまっすぐに歩けば、およそ10分ほどで飛騨国の一ノ宮として信仰を集めた水無神社へたどりつきます。

水無神社の大杉
樹齢およそ800年といわれる大杉で、水無神社正面の鳥居脇にそびえたっています。匠の国、飛騨にふさわしく、境内にはこの大木にひけをとらないほどの杉や檜(ヒノキ)の古木が鬱蒼と茂っていました。

よく掃き清められた清浄な境内。社殿を包む森閑とした鎮守の杜(もり)のたたずまい。境内に立ってそれらを眺めていると何か清々しい神気のような空気を感じます。

水無神社近くの集落

神社からの帰り道、再び宮川の河岸に出ました。先程まで山地にかかっていた厚い雲は大気と混然となり、朝靄へと変わって下流の景色をうっすらと隠してしまっています。

一ノ宮橋から見た宮川の上流

臥龍の桜(がりゅうのさくら)
飛騨一ノ宮駅まで引き返し、跨線橋を渡って駅の裏手に出ると、高山線の線路のすぐ真近にまで迫った低い丘陵の斜面に、何十本もの支え木に支えられた桜の老木がありました。樹齢1100年にも及ぶというエドヒガン桜の”臥龍の桜”です。

”「臥竜」と呼ばれるのは、親木から出た枝(これだけでも二抱えはある)が地上を這い、一旦土にもぐって根づいた後、もう一本の若木の桜を育てているからで、ほんとうに竜が昇天するような勢いに見える” (白洲正子『かくれ里』より)
かつて桜の親木から伸びた一本の枝が地面に接し、幸運にもそこから根づいて天に向かう新しい桜の幹を生じたといいます。その様子から、地に伏した龍(臥龍)の姿が連想され、この名が付けられました。
現在は、竜の胴にあたる部分は枯死し、親と子が別々の木のように分かれてしまっています。かつては、この写真右側の親木の幹から突き出した三角形の折れ枝の部分と、写真中央の切り株状の部分までが一本の太い枝(幹といっても過言ではないでしょう)としてつながり、地中に潜った枝先が写真左側の子桜として育ち、臥竜(臥龍)の名にふさわしい樹勢を見せていたそうです。
4月も末のこの日、臥龍桜はだいぶ花が散ってしまっていて、残った花は開花前の三分咲きくらいの様子に見えました。花の盛りにはどうも一足遅かったようです。

桜に隣り合う大幢寺から

駅のホームから、すぐ真近に眺める臥龍桜の全景も趣があります。満開の頃はさぞかし・・・と思いやられる、見事な自然の造形です。

やがて列車の時刻が迫り、高山の町へと戻る時間となりました。

さくら さくら
野山も里も見わたすかぎり
かすみか雲か朝日ににおう
歌曲にうたわれるような桜の里が本当に遠い飛騨の山麓に広がっていました。現代の景観に慣れてしまった目には新鮮で、しかしどこかで憧れ記憶していた懐かしい原風景のようでもありました。別天地のようなこの景色の名残りを惜しみつつ、高山への帰路につくことにしました。